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よもぎ会通信

フレッチャーの咀嚼法(一)       食べ方によって、人生が変わった

 「身心一如」といわれるように、からだと心は密接にお互い関係し合っています。心配事があれば胃の働きは悪くなり、食欲はなくなり、胃潰瘍が生ずることさえあります。うつ状態になれば当然のことながら、からだの動きは悪くなり、引きこもり勝ちになります。

 運動の項で述べたように、「息食動想」が天地自然の理に適っていることが健康の秘訣です。「息」は自分の心と書くように自律神経をコントロールする働きを持っています。「動」はからだの動かし方です。気持よくからだを動かすことが基本です。「想」は心の持つ力、気持のことです。精神科診療の専門領域です。しかし、精神科の先生方は、精神症状に重きを置くあまり、生活をしている患者の全体像を観ることができていないように思えます。患者の身体にも目を向けて診て下さい。

 今回から数号は精神から離れて「息・食・動・想」の「食」について書きます。 これは私が内科の町医者をしていた当時、患者さん方に読んで頂いたものの再録です。  

 私の書棚の何千冊かある書籍の中で最も大切にしていた一冊が、宮入慶之助著「食べ方問題」です。発行日は大正十二年十二月三日になっています。御存知のように大正十二年九月一日に関東大震災が起こり、東京中心に関東一円は壊滅状態になりました。経済的に大打撃を受け、身心共に疲れ果てている日本人を何とか力づけ励ましたいと考えた宮入先生は、この「食べ方問題」の緊急出版をすることを決めたのです。

 この本の中には、食べ方の奥義が書かれていると思っています。しかし、残念ながらこの本は現在入手することが困難です。そこで、 その一部を要約して皆さんに御紹介することにしました。

 精神科治療の中で薬物療法が重要であることはいうまでもありません。しかし、三ヶ月以上も入院している患者と家族に、薬についてと同時に、地域で生活する際の注意点、養生法なども積極的に教育して頂きたいのです。精神症状が治まれば、「それで、よし」ではない筈です。身体を含めて生活している人間として全体を看て頂きたいのです。「食」はその中の重要な一つです。


 彼は肥りそして病気になった


 ホレス・フレッチャーはアメリカの豪商で、その生活は特に変わったものではなく、世間の人並でした。非常に活動的で、精力的に仕事をしていました。経済的には何の心配もなく、大いに食べ、大いに飲み堂々たる体躯に肥満し四〇才頃には、身長一六七㎝・体重八七㎏になりました。これだけ多くの栄養素を体内に蓄えたのにも拘らず、力がついたとも、働きがよくなったとも思われず、かえって疲れ易く、脱力感すら感ずるようになりました。朝の目覚めも不快で、倦怠感もあり、仕事も面白くなくなり、ともすれば風邪をひきやすく、腹の具合も悪く、あれこれと手を加えた御馳走もうまくなくなり、食欲もなくなってきました。一口に言えば本来人生の絶頂にあるべき年令に老いぼれたようになってしまったのです。

 生命保険会社で保険の申し込みを断られたので、初めて驚きました。「こいつはいかん、俺の躰はこんなに悪いのか」と気づきました。ここで一念発起、なんとかして体力の衰退を防ぎとめ、失った宝、健康と仕事の面白さと生の味をもう一度取り返そうと頑張りました。一切の商売上の関係を断って唯々健康のために生きようとしました。

 何人もの名医を訪れました。アメリカの国内では納得のいく治療法は得られないので、医者のすすめで、ヨーロッパに渡り、有名な温泉場をめぐって、ここでも様々な治療法を試みてみましたが、さっぱり効果はありませんでした。医書も手当り次第乱読しましたが書いてあることはまちまちで一致せず、だめだと思いました。

 しかし、真理というものはそういくつもある訳はない、あるとすれば必ず一つであろうと考えました。


 食べ方の問題に出会う


 あれやこれやの療法を求めているうち、ふと思い出したことがありました。かつてテキサスの美食家として知られた人を訪ねたとき、その人は全く健康そのもので、その健康の秘訣について、規則正しい体操と注意した食事であるといい、ことに食物に念を入れて噛むことだといって、イギリスのグラッドストーンが子供等に、一口の食物は必ず三十二回噛むものだと教えたという例をあげて話した事を思い出しました。フレッチャーは、これは食べ方の問題の中に健康の秘訣があるのではないかと考えはじめました。そこで一八九七年の夏、これを自分で試して研究してみようと実行に移しました。

 第一に自分の自然の欲を案内者として、食物はいよいよ腹が減って食べたくなった時だけ食べることにしました。食べる品の選択も食欲の望むところに任せました。口に入れた食物はなるべく長く口の中に留めておくことにして、これを噛んで、噛んで噛みぬいて、唾液とよく混合してドロドロになるようにしました。そうしている間も精神を口の中の食物に集中して、舌で味わうだけでなく、頭で味わうように努めました。

 こうしている間に、食べた物は咀嚼運動によって流動の粥のようになった後でなくては自然には飲みこめないものであるという、一事実を発見しました。そのわけは、舌の根元のところにある咽頭輪は口蓋皺壁と、その中にある筋肉と、舌根とで囲んだ一つの関門で、食物が十分に細かに噛み砕かれて 唾液とよく混合され流動形になったとき初めて不随意に開くからです。

(次号に続く)


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