「生老病死苦」といわれているように、この世に生を受けたからには様々な病気と健康の間を往ったり来たりしながら、齢をとって老い、必ず死んでいかなければならないのです。お釈迦様でさえ「生ある者は苦を怖る」と言っておられるように、生きているからには、苦しみからは逃れられないのです。
精神病の苦しみもそのうちの一つです。しかもこの病気の原因は、十分に解明されていないのです。それは脳の構造が複雑で、中枢神経やこころが、現代医学でも明確に解き明かされていないからです。
しかし、精神病に限らず、どんな病気でも「一に養生、二に養生、三、四がなくて、五に薬」です。病気を治し、癒しているのは、自然の治癒能力です。全ての生き物には、この自然の治癒能力が備わっているのです。
養生とは、この自然の治癒能力を高め、強くすることです。または、養生とは自身の体の内部環境を整えて、よりよい状態にして保つことです。自然の治癒能力を高めるためには「息・食・動・想」が天地自然の理に適っていなければなりません。息は呼吸です。食は、栄養の供給と排泄のバランスです。動は、筋肉を動かす運動の仕方です。想は、脳を使った精神活動です。
私が町医者時代に患者さん方にお願いしていた養生法は「よく噛んで、腹八分目、いつもニコニコ、よく歩く」でした。
「快食・快眠・快便」は健康のバロメーターです。何を食べても美味しく、味が分かるということは大事なことです。精神科の病では睡眠時間よりも、朝の目覚めの時、どれくらい「気持がいい」かが極めて重要な目安です。快便も排便し終った時「気持がいい」感じがあれば快便と言ってよいでしょう。
今号のテーマは運動ですから運動に移ることにします。
私が清水に居た頃は、友人が入院していた精神病院に何年間か病床訪問していました。友人はいつ行っても鍵のかかった閉鎖病棟で、ゆううつそうな顔をしていました。
「病室内でユーモアクラブでもつくって少し明るくしたら」と提案したところ「無理ですよ、ここにあるのは喧嘩だけですよ」という答が返ってきました。
この病院には、小学校の運動場ほどの広いグラウンドと農園用の畑がありましたが、いつ行ってもそこに患者さんの姿を見掛けたことはありませんでした。現在の精神医療の治療は、薬物に頼る傾向が強く、この風潮はそう簡単には改まりそうにありませんが、精神科の先生方は、身心一体の考え方を治療に取り入れられたらと思っています。
人間の心と体は表裏一体で、お互いに密接に関係し合っています。私は内科診療の傍ら、静岡県内の各地で「脳卒中患者さんのためのリハビリ教室」を十三年間行ってきました。その中で、脳卒中で動かなくなった手足が、患者さんが生きる希望を持って目標が定まると見事に動き出すことを教えられました。その時のスローガンの一つが「心が動けばからだも動く」でした。私の作った「精神科リハビリかるた」のか行は、「 からだが動けば、心も動く」です。人間も動物です。動く物なのです。「二本の足は二人の医者」です。この二人を上手に使わない手はありません。
運動でストレス解消を
運動の第一の目的は、脳を育て、良い状態に保つことにあります。昔に比べると私たち現代人は、からだを動かさなくなっています。一方、複雑化した社会の中で社会的ストレス、肉体的ストレス、代謝性ストレスなどは、慢性や急性のストレスを問わず増え続けています。こうした情況の中で運動が脳の働きを向上させ、ストレスを和らげることができることを学んで、運動を生活の中に取り入れることが重要です。
私たちのからだの中には、狩猟採集時代の行動様式がしっかりと組み込まれているのです。その行動をやめてしまうと、一〇万年以上にわたって調整されてきた微妙な生物学的なバランスを損ねることになるのです。祖先の日常に学ぶことが、ストレスを解消して集中力を高め、脳を育て、脳を健全化することに役立つのです。
現在の私たちのからだを支配している遺伝子は、先に述べたように、一〇万年以前から進化してきたものです。その当時の人類は、木の実の採集のための森や林の中で、川や海で漁猟のために、平原や森の中では狩猟のために、絶えずからだを動かし続けていたのです。
精神がからだに影響を及ぼすように、からだも精神に影響を及ぼすことができるのです。からだを動かすことは、ストレスの悪影響を防ぐ自然な手段なのです。ストレスに対処するために運動することは、人類が数百万年かけて進化する過程で身につけたことだったのです。
(以下次号)
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